ふんどしハローキ○ィ、発売中止 お尻が見えるデザインに難色 - 速報:@niftyニュース.
私は可愛らしいし、日本のお祭り感があって良いと思ったけど、発売中止みたいですね。
先日HTB(北海道テレビ)とのコラボTシャツが売っているところに行ったのですが、
ONちゃんはローカルキャラなので、全く無反応だった若い女性が、キ○ィちゃんを見た瞬間に黄色い悲鳴で「キ○ィちゃんだかわいいーー!!」といっていました。
これが認知度知名度というものか、とつくづく思い知らされますね。
周りの男性はどうでしょう藩士だったようで、ONちゃんのことを熱く語ってましたが、女性は一切耳にはいらずで、温度差のあること、あること。
苦笑いでその場を後にしました。
賛否両論のようですが、ファンからかわいいと言ってもらえないと駄目なようですね。
どうでしょう軍団
長い旅にでたようです。
ちゃんと公式ページで旅宣言しているのを始めてみたような。
前の旅は気がつかずに過ぎちゃったから。
でもきっとまた関東で放送が見られるのは、その後1年は掛かるんだろうなあ。
TV朝日(キー局)が意地悪すればするほど、欲求が高まり結果、熱が冷めないっていうことで、意図していないのに効果が上がるというね、皮肉な結果。
帰ってきた後の、日記が楽しみです。
西武はホタルノヒカリの試写会をやるそうです
駅の広告の写真にTEAM NACSの安田顕さんのハンサム写真
毎日どこかで水曜どうでしょう関連の番組などがあって売れっこのNACSさんたちに嬉しいでやんす
またまたどうでしょうサイトからの転載ですみません。
が今度もまた、うんうんと頷き、そうかと膝を打つ内容でした。
4月になったある日、万博記念公園に行きまして、ミュージアムで藤村さんの言う当時のフィルムを見てきましたが、確かに同じものを感じました。
私自身は小さくて大阪万博は見られなかったのですが。
これからの若者は何を懐かしいと思うのでしょう?
普遍的に変わらぬ部分と、今の時代の抱える閉塞感、空虚感の一部を感じつつある、私の気持ちを少し代弁してくれている気がしました。
正体は分からない、不安な時代、不満な世界。
打開したいと思いつつ、私はつたない筆を動かし続けます。
*****以下転載****
4月9日月曜日。藤村でございます。
韓国のアイドルグループの番組、そして「ヨーロッパ企画です」のDVDの編集がひと段落したところであります。
一部略
さて、今日の日記はちょっと長いです。
みなさんは、九州新幹線のCMをご存知でありましょうか。昨年、カンヌの国際的なCMコンクールで最優秀賞を獲得したCMであります。
九州新幹線が全線開通することを祝って制作された「3分」というこの長いCMは、しかし、あまり人の目に触れることなくお蔵入りとなりました。なぜなら、たったの3日間しか放送されなかったからです。
九州新幹線が開通したのは、昨年の3月12日。大震災の翌日でした。従って、祝賀ムードを全面に押し出したこのCMは、すぐさま放送自粛となったわけです。
もちろん私も見たことがなかったんですが、「あのCMはすごくいい」という話を聞きまして、ユーチューブで検索して見ましたら、思わず目頭が熱くなりました。嬉野先生に聞いたら、先生も「あれは泣けます!」と。
CMの内容は、とても単純です。全線開通を前にした2月20日。鹿児島中央駅から博多駅まで新幹線が試験走行をします。その「走る新幹線の映像」と、「新幹線に向かって手を振る人たちの映像」を、ただ3分間つないだだけのCMです。
あれはねぇ、まず「編集が完ペキ」なんです。「走る新幹線」と、「沿線で手を振る人たち」という、たった2種類の映像で「3分間も見せる」というのは、これは相当なセンスがないと作れない。
しゃれた映像とか、凝った映像ならば、それをただ見せるだけでも一応、成立はするんです。だから映像を作る人は、まずは撮り方を工夫する。まずはそこにセ
ンスを発揮して、人目をひくことを考える。でも、撮影した映像自体が単純だと、見ている方はすぐに飽きてしまって、ただのホームビデオになってしまう。こ
うなると、「編集」のセンスを発揮するしかありません。
九州新幹線のCMは、ただ単純に、鹿児島から博多まで走る新幹線の映像と、それに手を振る人々の映像を、時系列で並べているだけです。でも、この単純な映像の羅列に私は見入ってしまい、感動してしまう。
「編集」が、抜群にいいからです。
たとえば、あなたがホームビデオで子供の学芸会を撮ったとするじゃないですか。三脚を立ててビシッと舞台を撮る。ファインダー越しに見える子供の姿にあな
たは感動するわけですよ。でもそれを家族以外に見せたって、誰も面白いとは思わない。それはただ単に「学芸会がありました」という「事実」しか相手に伝
わってないからです。5秒も見れば、それはわかる。「あぁ学芸会があったんですね」と。別に人に見せるのが目的じゃないからそれでいいんだけど、これを人
に見せて、自分と同じように感動してもらうためにはどういう編集をしたらいいか?
たとえば、子供の舞台の映像の合間に、となりでじっと見ている奥さんの顔を入れていくわけですよ。最初はうれしそうに舞台に向かって手を振っている奥さん
が、子供の出番が近づくにつれて心配そうな顔になる。やがて奥さんが、ハンカチを取り出すわけですよ。涙ぐんでいるわけですよ。幕が下りたときには、拍手
もしなきゃいけないし、涙も拭かなきゃ行けないし、みたいなてんやわんやになっているわけです。こういう奥さんの様子を、子供の舞台の合間に姑息に入れ込
んでいくわけです。そうすると、「学芸会の出し物はたいしたことないけど、それを見ていた私たちは感動してしまった」という主題が相手に伝わる。主題が伝
われば、たいしたことのない学芸会でも、相手は見ていられる。で、最後は奥さんに感情移入して、「いい舞台だったね!」と、一緒になって涙ぐむわけです。
そのためには、「編集」で、「どのタイミングで奥さんの顔を入れ込むか」ということも大事だけれど、もっと大事なのは、「奥さんの表情のどこを使うか」と
いうところです。
たとえば、舞台の幕が開き、いよいよ子供が登場する。奥さんが力いっぱい手を振っている。そんな奥さんの映像を入れ込むとき、「奥さんが手を振り上げた瞬
間」の映像を入れれば、奥さんの「高揚感」が伝わる。「手を振っている最中」の映像を入れ込めば、奥さんの「うれしさ」が伝わる。「手を振るのをやめた瞬
間」の映像なら、奥さんの「緊張感」が伝わる。その「どこを使うか」によって、見る人に与える印象が変わってきます。
九州新幹線のCMは、その映像の選び方、その映像と次に来る映像のつなぎ方、そこに入れる音楽、テロップの書体、ナレーションが入るタイミング、そのすべてがよどみなく、完ペキでした。映像制作を志す人は、絶対に見た方がいいと思います。
と・・・ここまで言ったら、ほとんどの人はさっそくユーチューブを開いて、実際にあのCMを見てみるわけじゃないですか。で、見てみたら、「そこまで感動はしなかった・・・」と思う人もたぶん数多くいると思います。
それはなぜか?
さて、ここから話が少し変わってきますが、
ではなぜ?私はあのCMに感動してしまったのか。
私はあの映像に、「懐かしさ」を見てしまったからです。
あの映像の羅列が、一種の懐かしさを私に喚起させたからです。
あのCMの「主題」は、「新幹線が開通するうれしさ」ではなく、私にとっては「懐かしさ」だったんです。
私は、東京から新大阪まで新幹線が開通した翌年、東京オリンピックが開かれた翌年の、昭和40年に生まれました。小学校のときに札幌オリンピックが開か
れ、大阪万博が開かれました。あのころ、ようやく日本という国が世界で認められた、世界の先進国の仲間入りをしたと、多くの日本人が思った時代でした。
私もたぶん、その時代の高揚感を、幼心に感じていたんだと思います。
「日本の科学技術が進歩した」「世界が注目するイベントが日本で開かれた」「それは喜ばしいことだ」と、誰もが疑うことなく、みんなで万歳三唱していた時代。それが懐かしかった。
だから今、「新幹線が開通する」という、そんな単純な出来事に、あの頃のように喜ぶ九州の人たちの姿を見て、思わず涙が出てしまったという、そういうことです。「感傷に浸ってしまった」という、ただそれだけのことです。
でも、そんな時代を知らない若い人たちには、「なんかすごく盛り上がってますね」としか映らない。だから、感動まではいかない。その感覚は、正直だと思います。
私が四十を過ぎた今、時代が変わった今、私は、また東京でオリンピックを開催しようということに、愛知県で万博を開催したことに、新幹線を北海道まで伸ばすことに、少なからず疑念を感じています。私たちの時代はもう、そんなことを求めてはいないんだと。
その通りなんです。あのCMの裏を返せば、「新幹線が開通するって、スゴいことでしょう」という、今の時代にはそぐわない意志が隠されているんです。
そこが見えてしまうと、感動なんかできない。
でも、だからこそ、平成の時代に大人になった私たちは、平成の時代に生まれた若いやつらは、これから、どんなことに感動するのか、どんなことに思わず涙ぐんでしまうのか、どんなことにみんなで大きく手を振れるのか、それを考えてみないといけないと、思いました。
考えてみても、それがなんなのかは、まだわからないし、いや、もしかしたら、みんなで一緒に万歳三唱するなんてことは、もうないかもしれない。
「みんなで一緒に」ということを求め過ぎると、それは「挙国一致」という考え方につながって、「戦争」というわかりやすい破壊行為によって、またイチから
この社会を作り直すということでしか、「みんなで一緒に」なんてことはあり得ないんじゃないかと。社会が成熟するということは、多様な考え方が生まれて、
その多様性を寛容に受け入れるということだと思うんです。ということは、「みんなで一緒に」という単一思考が支配する社会は、成熟していない社会ではない
かと。
だったら、この先、「みんなで万歳三唱」なんてことを求めない社会のほうがいいではないかと思い至ったんです。
いろんな意見を受け入れる寛容性というものが、今の日本にはあんまりないぞと思ったときに、これはいかんぞと思った次第です。
いや、なんだかちょっと最近、ヒゲの白髪がめっきり増えてきたんでね、そんなことを思ってしまいました。
よし、また明日。
******転載終*****
YOUTUBE動画
http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU
万博記念公園に行った時の写真をアルバムに上げました。
今週東京MXで新作が放送開始されました。
あーーー、うれしいな。
そこで、またもや転載で済みませんが、どうでしょうさんのHPから
来月どうでしょうさんが横浜に来るとき復興募金していたら協力しようっっと。
以下本文転載
お近くの方は。是非、最近では見られない3ショットを見に女川に行ってください。
*************************
【お知らせ】
18日(日)藤村、嬉野、そして樋口了一さんも!宮城県女川町におじゃまいたします。
「女川町商店街復幸祭」のイベント告知サイトがオープンしました。
http://serve-it.jp/onagawa/index.html
1.皆さん十分暖かい格好で
2.時間は早めで
3.車がある方はマイカーで、あるいは友達同士乗り合いで
お越しいただければと思っています。
・・・とのことでございます。
3月12日月曜日。藤村でございます。
昨夜、東京MXテレビさんで、最新作の放送がスタートいたしました。
関東圏では順次、放送がスタートいたします。
たいへんお待たせいたしました。
1年ほどお待ちになりましたな。
昨年の今ごろは、東北各地で新作の放送がスタートした時期でありました。
1年が経ちましたか。
あの日、宮城県の女川では、こんなことがあったそうです。
高台に、車に乗った人々が続々と避難してきた。真っ暗闇の中で過ごす最初の夜。周りにいる人たちに向かって、ひとりの男が、こう叫んだと。
「ここをキャンプ地とする!」
周りにいるみんなは、思わず笑ってしまったそうです。
その男は、高橋という名で、彼の家は女川で「高政」という蒲鉾屋をやっています。「高政」の工場は、津波の被害が他よりも少なく、浸水はしたけれど、動か せるラインがあった。そして、工場の冷蔵庫には、蒲鉾の材料になるすり身が大量にあった。それで「高政」は、震災の数日後にはそのラインを動かし、どんど ん蒲鉾を作り、町の人たちにどんどん配ったそうです。
その高橋という男が、わざわざ札幌まで足を運び、我々に会いに来てくれました。
今週末、18日の日曜日に女川でイベントがあるそうです。そのイベントに、来てくれないかと。
彼は、今回のイベントの意味をこう話してくれました。
「もう、野次馬でも物見遊山でも構わないから、今は、とにかくたくさんの人に女川に来てほしいんです。両親を亡くした女子高生の子は、これまで取材が来る たびに逃げていました。でも今は、自分から『取材を受けます』と言っています。ぼくも、テレビだろうが雑誌だろうが、それがどういうふうに扱われようと、 取材を受けていこうと思います。だって、一番怖いのは、女川を忘れられてしまうことですから。忘れられて、誰も来なくなったら、復興なんかできませんか ら」と。
それを聞いて、嬉野さんは言いました。
「だったら、私のような人間でも、ようやく被災地に行けます。自分は震災の被害を受けていない人間だから、あなたたちの気持ちはいくら想像したってわから ない。『わかったつもり』すらできない。だから、一緒に悲しむこともできない。気の利いた言葉をかけることもできない。それどころか不謹慎なことを言って しまうかもしれない。そんな人間だから、震災の話も簡単にはできない。でも、こんな人間でも来ていいと言ってくれるのなら、私もようやく行けます」と。
日曜日、私と嬉野さんで女川に行きます。
東北の諸君。遅くなりました。
すぐに行けず、申し訳ありませんでした。
諸君はもう、十年以上も前から我々の番組を知っていてくれました。ずいぶん前から我々の友だちでいてくれておりました。
でもこの番組は北海道で生まれたから、諸君は、幼なじみの友だち、という間柄ではないでしょう。でも私は、北海道からやって来た転校生に、最初に声をかけてくれた、涙が出るほどうれしい友だち、そんな間柄であると、勝手に思っています。
キミたちは、この1年を、どう過ごしていましたか。
ずいぶん遅くなってしまったけれど、勝手に親友と思っているキミたちに、ようやく会いに行こうと思ってます。
一緒に、酒でも飲みましょう。
日曜日に女川の総合運動場で開かれるイベント「女川町復幸祭」でお会いしましょう。
イベントの詳細は、まもなく告知されるそうですので、お待ちください。
高橋くんの家は、その後、「女川で生き残っている数少ない会社ですから」と、女川の人たちを新たに従業員に雇っているそうです。無理をして。
でも、「高政」が作っている蒲鉾は、バカみたいに肉厚で、バカみたいに美味しいです。女川に来て、たくさん食べたほうがいいですよ、これは。
転載がいけないことだとは思いますが、明後日の震災のお弔いとして、
そのまま転載します。
何せページが次の日記を書かれると更新して見られなくなってしまうので、
他に方法が思いつかない。
大変申し訳ありません。お許しください。
その旨に賛同して頂ける方のみ。このまま、下記をお読みください。
3月9日(金)のれしーの日記より
¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥
2012年3月9日(金)
嬉野です。
今週は、いろんな用事で東京へ出張しておりました。
その中のある日ですが、
NHKの放送文化研究所さんの研究発表とシンポジウムを聞きに行ってまいりまして。
内容は昨年三月の東日本大震災とメディア報道というテーマだったのですが。
私もマスメディア的なところで仕事をしながらも、
そういう公の場で働くような人にありそうな高い意識がまったくないのが私の有りようでもありますが、
さりとて公のことについて考えないわけでもない。
ですから良い機会と思いましたので、
聞きに行ったのでありましたが、
そのシンポジウムで折に触れ、なされる、
あの日の報道のありようを振り返る場面で
映し出されるあの日の津波映像を見るたびに、
どうしても涙が滲んでしまうのでした。
当たり前と言えば当たり前なのですが、
でも、私はあの震災で、
なんの被害も受けてはいないのです。
直接的な悲しみの記憶は無いのです。
それでも、あの日もそうであったように、
海面が盛り上がり押し寄せていき、
堤防を越えると氾濫しながら、
営々と作り上げられてきた人の営みと
懐かしい歴史の染み着いた故郷を
紙屑や木切れのように破壊し押し流してしまった、
あの津波の映像を目にすると、
ただじんわりと泣けてくるのです。
私はどちらかといえば察しも悪く、
他人の気持ちを思いやる心にも欠ける、
自分の経験したことしか分からない経験値の低い男です。
そんなだから、震災のことについて書くことも、
とんちんかんなことを書いてしまいそうで、
どこか、はばかられてしまい、
ここの日記が滞りがちな理由のひとつには、
やはりあの震災のもたらした取り返しのつかない不幸があるのだとも思います。
あの自然災害が多くの人にもたらした、
取り返しのつかない不幸を前にして、
それでも私は、そこから行動に移すべき何ものもイメージできず、今も昨日までと変わらぬ世界に住んでいるのだと思います。
ですから、
変わらず間抜けなことしか思いつかずじまいの日々で、
だからといって、
あの日の震災が忘れられるわけもなく、
あの日の津波の映像を見るとじんわりと泣けてくるのかなと思いながら見ておりました。
でも、一方では、
どうして津波の映像を見るたびに、じんわりと泣けてくるのだろうとも怪しみながら見てもいたのです。
つまり、私の心の中の、
何が反応しているのだろうかということです。
シンポジウムでは、
メディアの報道が、どうすれば、避難誘導の一助になれるのか、あの日、どうしてその一助となれなかったのか、そこをパネリストのみなさんはそれぞれに考えておられました。
その時、あの日の振り返りとして、
大洗町の例が紹介されました。
大洗町では、あの津波の日、
町長さんが、庁舎の窓から海を見た時、
沖合から大きく盛り上がった波がこちらへ押し寄せてくるのを見て激しい危機感を覚え、
防災無線で、
「緊急!避難命令!」
と、マニュアルにない「命令」という強い調子の言葉を言わせたのだそうです。
そして、
高台に避難して「ください」ではなく、
「至急、高台へ避難せよ」
と、日頃まったく使わない命令口調で避難勧告をしたのだそうです。
その常ならぬ強い口調に町民は覚醒し、
これはただごとではないと、
ちょうど地震の揺れで散らかった家の片づけをしていた人ばかりだったけれど、防災無線から発せられる日頃耳にしない強い調子の言葉に瞬発的に身の危険を感じ、大急ぎで高台に避難したのだそうです。
「命令なんてね、あの聞きなれない口調で言われなければきっと逃げようとしなかったと思うよ、だって、避難せよってね、言うから、これはきっとただごとではないんだってね、びっくりしてね」
と、そんなニュアンスのことを地元の人たちが口々に言っておられました。
その大洗町の例を受けて、
NHKでも巨大災害時の報道で、
避難を呼びかける時は、
強い口調で呼びかけることにしたのだそうです。
「海岸付近にいる人は、直ちに避難すること。
可能な限り高いところへ避難すること。
逃げる際には、近くの人にも避難を呼びかけながら逃げること。」
NHKが訓練用につくったVTRが会場で流されました。
その映像を見ながら上記した避難勧告の文言を、アナウンサーが強い口調で読み上げるのを聞くうちに、ぼくの中にも非常の気持ちが湧きあがり、逃げなければ!という強く切迫した思いが湧いてくるのでした。
そうして、アナウンサーの口から繰り返し発せられる、
常にない切迫した「逃げること」という言葉を聞きながら、そこでもやはり、じんわり涙が滲んでくるのです。
どうしてだろうと思いました。
切迫した強い口調でぼくたちに向けて
「逃げること」
と、呼びかけ続ける者があるのです、
「逃げること。ただちに出来るだけ高い場所へ避難すること」
そう呼びかけられながら、
逃げなければという気持ちが湧いてくればくるほど、
じんわり泣けてくるのです。
その時、ぼくは思いました。
おそらく、
ぼくは、そこに自分たちの運命を見たのだろうと。
「逃げること!」
この切迫した呼びかけを受けて、
ぼくの目からじんわり涙が滲むのは、
それがぼくらの運命だからです。
そうなのかもしれない、
いや、おそらくそうなのだと、ぼくは思うのです。
おそらく、
ぼくらは逃げていかなければならない身の上なのです。
懸命に、安全な場所を目指して、
みんなに声を掛け合って
逃げていかなければならない身の上なのです。
今、この時代にこの列島の上に身を寄せ暮らす者たちは、
おそらく、そういう運命の上にあるのです。
そして、そうであることを、
ぼくらの身体は既に知っている。
そういうことではないのでしょうか。
この地球の地核内部で行われている活動の、
何かが今までとは変わってしまった、
もうぼくらが、よく知っている穏やかな地球ではなくなり始めている。おそらく、もうのんきな時代ではなくなっていく。
そのことを、ぼくらの本能は既に察知している。
それでも、この社会には、平和と安全と豊かさは尽きることなく求められると思い込むムードだけが今も惰性のようにあるのです。
レストランへ入っても、
飛行機に乗っても、
ぼくらへ向けられる言葉は、
辞を低くした敬語と丁寧語ばかりです。
テレビをつけようとも、ラジオをつけようとも、
役場へ行こうと、食堂に入ろうと、
誰も彼もが、
ぼくらの安全と安心と平和と安寧を気遣ってくれて、
平身低頭してくれるのです。
そして、そんなこの時代のムードの中に暮らしていて、
ぼくらは、どことなく、違和感を感じてもいるはずです。
それは、本当は、そんな悠長なムードの中に浸っていられるような時代では、既にないからです。
地球は、ぼくらが知る神話や言い伝えや、
SFの世界の中での出来事とばかり想っていた
荒々しい姿を、ぼくらの目の前でリアルに見せつけはじめる。
だから、その運命に呼びかけるシグナルを外部から受け取ると、身体内部にある本能が「そうだ」と反応する、
そうしてまるでデジャビュのように
まだ見ぬ未来を、
瞬間的に目の当たりにイメージしてしまう。
だから涙が滲んでしまう。
そういうことではないでしょうか。
信じられないことは、
やはり、ぼくらの眼の前で起きるのです。
ぼくらはその信じられない光景を
目の当たりにしなければならない存在の者として、
この列島の上に、今、生きているのです。
それがぼくらが生きている今という時代なのです。
そのことをぼくらの本能は、もう既に知っている。
だから、
「逃げること!」
と、強い調子で発する者の呼びかけの中に
「必死の想い」を感じる時、
その必死さがシグナルとなり、
ぼくらの心の奥底にある本能につながる回路を開き、
そこに既にある必死の想いが立ち上がり、
「そうだ」
と、必死に応答するのです。
その時、ぼくらは、
本当は、自分たちが、
「必死」の運命の中にいるのだという本能に覚醒する。
ぼくらの祖先が、アフリカに誕生してから、
その故郷を出て、世界中に散っていく数万年の旅の始めに獲得していたものは、他人の気持ちを察して手助けをすることができるという、他の生物にはなかった特殊能力だったそうです。
他人からの要請がなくとも、
彼や彼女の気持ちを未然に察して手助けが出来るという、
人類だけが持つ、その特殊な能力が、
手助けの後に獲物も水も分け与えるという
穏やかで優しい気持ちに祖先たちを自然と向かわせ、
困難な環境にあっても、
他人と肩を寄せあい生きることの中に、
孤独で生きるときには無かった、
穏やかさと朗らかさと幸福感に満ちた居心地の良さというものがあることを教えてきたのだと思うのです。
進化の歴史とは、変わりゆく自然環境に適応してきた歴史であったと思います。
いってみれば、それが人生の姿であるようにも思えます。
流れに揉まれても、それをみんなで乗り切ろうとする。
困難な時代が始まったのであれば、
ぼくらは、もう一度、旅の始まりに立った数万年前の祖先たちがそうしたように、他人の気持ちを察して手助けをし、ほんの少しの獲物や水を分けあいながら、ともに穏やかな気持ちで助け合いながら生きていこうとするはずです。
なにがどう変わろうが、
それを乗り切って生きていこうと必死になるのが、
ぼくら生き物の本来の姿であり、
人類の本当の有りようなのだと、
ぼくは思うのです。
長くなりましたね。
もちろん私見です。
なんの根拠も無い思いつきです。
それではまた来週。
本日も各自の持ち場で奮闘願います。
解散。
【お知らせ】
この春、横浜そごうさんで、
北海道物産展が開催!
HTBも以下の日程で参加します!
4月25日(水)~4月30日(祝)までの6日間だけでございます。
★どうでしょう新作がついに関東圏で放送開始!
東京MX‐TVでは3月11日から!
千葉テレビさんでは4月4日から!
★ただ今、電撃オンラインで!
「藤やんうれしーの悩むだけ損!」が好評連載中です!
くじらさんもイラスト書いてくれてますの!
http://news.dengeki.com/premium/suidou/
(17:07 嬉野)
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