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カテゴリー「趣味」の7件の記事

日本一の馬鹿・7~2006年富士登山~

行きはよいよい、
帰りは怖い。

さて、下山の時刻です。
その前に集合写真。
時間に間に合いそうにないので、私は長蛇の列のトイレを後にします。
こういうところが、損な性格なんですが、時間に間に合わせないといけないので、我慢を決めました。

実際、空気が薄くなって、酸欠になると、判断を間違うそうなのですが、そうだったのかもしれません。

我慢のうちに下山開始。
と、
「イッテーーーーー!!」
合ってないシューズは、なんと下山時の方が痛い。
ちょっとふっくらした私の体の重みが、すべて足の裏と、指にギューーーーっと掛かる。
下り始めの砂が細かいときはまだましだったのですが、
少し降りてからの砂の粗さが、摩擦になって、私の足は1.5倍から2倍にも膨らんだように感じます。

耐える、ひたすら耐える。
足が痛い。
オシ○コが、したい。

実は山頂では、集合写真には、何人かの女の子達が、ギリギリまでトイレの列に並んでいて、
集合写真に遅れていました。
普段からついつい間が悪く、我慢して失敗するのが私です。
今回もそいつが出て、私は不覚にもその人達に対して
「いいなあ、時間だとか、迷惑になるんじゃないかと思わないで、
甘えられる人は。」と思ってしまいました。
我慢すると決めたんだったら最後まで意地を通せばよいのですが、
往生際の悪い私は、言葉にはしないものの、そんなことを思う最低な人間なんだと言うことを
またも、思い知らされてしまいました。

8合目の分かれ道で、スタッフの方に
「トイレ行かせてください!もうピンチです」
と告げて、ダッシュで山小屋のトイレに駆け込みました。

これも、酸欠だったのでしょうか?
2つ目のミスをしてしまいました。

ここは、山梨と、静岡に下る道の分岐点だったのです。
「しまった、ここではぐれたら、私はグループに合流出来ないんじゃ。」
ひーーー、怖い考えが頭を埋め尽くします。私は方向音痴なのです。

山小屋には頂上まで行かずに休憩していた男性がいました。
その人を拾うために、ガイドさんがこの山小屋に来ているはずです。
山小屋の人に「うちのガイドさんは来ていませんか?」と聞くと
ちょうど「今あっちに行きましたよ。」と教えてくれました。

私は血相変えてそこに向かいます。
見つけました。
ガイドさんと、男性が沢山の登山客のに混じって立っていました。
ほっとした私はそこに座り込みました。
すでに戻るグループの位置がわからない。
ここでこのガイドさんとはぐれたら、わしゃ帰れない。
その場から離れられませんでした。

おかげで、ガイドさんに連絡をつけるために、スタッフの方が探しに来てくださいました。
(しかし、スタッフの方も酸欠だったのでしょうか、携帯していたトランシーバーを忘れて、
往復になってしまいました)
申し訳なかったと今では思うのですが、あのときは人の多さでグループの位置がわからなかったのです。

30分ほど時間を押してきていました。
下山時は私以外の人も、バテたり、何処か痛めたりで休憩回数も増えていました。
靴ひもがずれたのを、直して最後尾になってしまった私を、見かねてか、
右京さんが、私のザックを持ってくださいました。
さすがは本物の山男です、軽々ってかんじでした。
登山用のザックは30リッター、全部に詰め込んではいませんが、
その荷物を2本の足で支えるというのは、思った以上に辛いんだなと実感しました。

スタッフの方も気を遣って話しかけてくださいました。
背中が軽くなったお陰でしょうか、周りの様子をよく見ることができました。
ご夫婦連れは、もれなく、奥様バテ気味で、手を引く人、
「ほら、休まないで、他の人に迷惑だろう?」などと旦那さんが励ましたり。
靴紐を何度も結び直して、辛そうな人。
スタッフも、実は靴のくるぶしが当たってね、痛いの、と。

それでも、みな声を掛け合ったり、おやつや、水を分けたりと、なんと優しい。
途中、若い女性が右京さんに
「山登りってもっと何か、考えるかと思っていたけど、全然何にも考えないんですよね。」
と言っていたのですが、本当にそうだなと思いました。

地上の煩わしいこと、悩み事は、何処かへ行っていて、
ひたすら登山と、仲間のことで頭がいっぱいで、
嫌なことはすっかり吹き飛んでいました。

何とか、前の方に追いつけた私は後少しの道のりだったので
「みんなが辛いのに、私だけ楽するのも、嫌なので」と荷物を受け取り
「時間が押してるから、遅れないでね」と言われた私は、何とか前の方から出発。
ちょっとずつ抜かれながらも、何とか5合目の広場まで下山しました。

ここで気付きました。
行きの登り口で、下山の客が皆、とても険しい顔をしていたのは、
こういう事だったのですね。
「あーーやっと降りてきたぞーー」と言う安堵よりも。
「ぐぇーーーー、もう辛いよーーー、ひーーー、たまらん!!」って言う、怖ーーい顔だったわけです。

下山した後は、バスに乗って
温泉に使って汗を流し、昼ご飯を食べました。

この道のり、普段のトレーニングに使ってる右京さんやスタッフは
半日もかからずに登ったり降りたりするようです。
そりゃ、我々のこの惨状なんて、笑っちゃうんだろうなーー。

東京について、スタジオの人に、この登山の話をしたら
「なんで、普段履いてた運動靴で行かなかったん?」
と、半ば、呆れて言われてしまいました。

ええ、そうですとも。
私がアホやったんです。


「大丈夫?」と何度も声をかけて頂いた方、チームUKYOのスタッフの方、ガイドさん
本当に、皆さんすいませんでした。

私の日本一の富士登山は、こうして後悔と、足の痛みで終わったのです。

今度こそ、ちゃんと足にあったシューズを履いて、
次こそは、余裕で山頂に立ってやろうと
リベンジを誓いました。

おしまい。


日本一の馬鹿・6~2006年富士登山~

初めてサンシャイン60の最上階の屋上に出たとき、
無風だったのがとても不思議でした。
高いところって無条件に強風のイメージってありませんか??
日本一高いところの風はどんなだと思いますか??
行ってみてください、そしたらわかりますから。

夜明け間近になりました。
だんだん空が、嫌、雲海と空の間が明るくなってきます。
見上げるのではなく、足の下から太陽が来るなんて、なんて不思議。
途中の登山道には頂上でのご来光を諦めて途中で太陽を拝もうと
待ちかまえている人が連なっていました。
その中をひたすら頂上を目指します。
どうもその日は上がってくる太陽の辺りの雲が厚くて、日の出時刻が遅くなったようです。

頂上です。
お疲れ様と、ガイドの渡辺さんが握手をしてくれました。
そのときはちょっぴり涙が出ましたが、頂上を見たら、あまりの広さにびっくりして、
あっけにとられてしまいました。
私は、頂上ってのはとんがってるモンだろうとばっかり思ってたんです。
3700メーターのトコにいるのに「地上とかわんねーーーよ?!」
と風情のないことを思っちゃいました。
振り返るとちょうど、太陽が雲から上がってきました。
バッチグーーなタイミングでした。
相変わらず実感のないままにボケラーーとしちゃいました。
この日はいつになく穏やかな気候で無風で、あったか。
昼寝でもしたい気分です(早朝だけど、そんな感じ)
きっと私の日頃の行いが良かったんでしょう。

そこで45分の休憩をとることにし、メンバーそれぞれがバラバラとばらけました。
Sanncyou

私はどうしても頂上にある浅間神社に行きたかったので、
温かいうどんやラーメンの誘惑のある売店をやり過ごしてそちらに向かいました。
足が痛かったので、これだけにしておこうと、あまり、河口や頭頂部までは行きませんでした。
山荘で、朝食のお弁当にと出されていたユカリおにぎりと、売店で買った甘酒を
ご来光の暖かい日差しの中で食べました。
こいつは忘れられない味です。
Sancyou2

苦労して登った甲斐がありました。

日本一の味です。


時間はあっという間に過ぎました。
名残惜しいと思う間もなく、集合写真を撮り、ミーハーにも
片山右京さんとツーショット写真も撮ってもらい
さあ下山です、
まだ早朝の6時過ぎだというのにもう一仕事終えたかのような気分になっていましたが、
実はこの後が本当の山登りだったような気がします。

つづく。

日本一の馬鹿・5~2006年富士登山~

富士山銀座、
と言う言葉があるそうです。
2006,8,20
台風一過のその日はこの年一番の混みっぷりだったそうです。

山小屋では、ほぼ眠れませんでした。
会社の床で眠ることもある私でそうですから、他の人も皆眠れなかったそうです。

夜11時になりました。
就寝前にスタッフの方に教わった、靴下2枚履きして、靴に足を入れました。
休んだお陰もあってか、何とかなりそうな雰囲気です。
「後は我慢だな。」
そう思い、頂上を目指そうと、山小屋の広場に集まると、
頂上行きの狭い登山道にはすでに人が一杯です。
「富士山銀座」というのだそうですが、上の上の上の方までずーーーと光点が連なっています。
牛歩のように動きものろのろです。
それをみて、右京氏とガイドの渡辺さんの判断で、ルート変更をすることにしました。
(くれぐれも注意ですが、個人的に、登山道をはずれているわけではなく正規の登山道です。)

砂場を上がってゆきます。
足下を照らすヘッドランプの明かり意外は下界に富士吉田の街明かりと甲府の市街地と星が光ってるだけです。
もう3000メートル位なんだけど、街の明かりはすぐ近くに見えるのが不思議でした。
12時くらいだとまだ寝静まっていないので街は煌々と明るく、日本は裕福やなーーーと思いました。
Yoru_1

8合目までは各山荘ごと休憩をとりつつズイズイ上がってゆきます。
歩くと熱い。袖まくりしてボタンを開けまくって、
休憩すると今度は、袖を下ろしボタンを閉じても汗が冷えてぶるぶる寒い。
高山病も相まって一番年の若い小学生の少年が吐いて戻してしまったのでツアーをはずれ下山しました。

「ここからは頂上までは山小屋もないし、後は自分の力で登って行かなきゃいけないよ、
具合が悪いようで自信のない人はここで待っていてね。」右京さんが、強い口調で告げます。
「これは、覚悟しなければ、」と思いました。
「それでも、頂上に行きたい」その気持ちがよけい強くないます。
8合目の救護所を最後にまた一人脱落。
彼は山荘で皆の帰りを待つ事になりました。

砂場は真っ暗でしたが時折「おおーーー、見えた見えた!」
「えぇーーー??どこどこぉ??」
と歓声が上がります。
残念ながら私は見られませんでしたが、空を流れ星が幾つも流れました。
何回か見ようと空を見るんですが結構坂がきついので上を向くとバランスが崩れそうだったのと、
後で考えると高山病で少し目が回りやすくなってた気がします。

もうちょっとだよ、がんばってと声をかけられながら
ぼちぼちと登ってます。
意外と、これぞ空気が薄いっていう感じにはなりませんが、息は上がる。
わからないと油断してどんどん上がってしまうのでしょう、
ベテランツアーガイドさんと一緒だったのは本当に良かったと思います。

まあ、初心者には良かったのですが、普段は登って降りてを2時間半でやっちゃう
片山右京さんにはじれったかったらしいです。

つづく。

日本一の馬鹿・4~2006年富士登山~

あ痛、た、た、た、た。
宿までの直前の登りは岩場です。
Yamagoya

足場選びに失敗して、しこたま膝をぶつけました。
靴ひもも緩んで、急坂で直さなくては行けなくなりました。
東洋館はもう、頭上に見えてるって言うのに。
「大丈夫ですか、ゆっくり休んでから行きましょう。」
「靴擦れですか?」
最後尾に付いていたTeamUKYOのスタッフが二人駆け寄ってきました。
一人は点呼役の人、もう一人はTeamUKYOの自転車乗り、
「MTBが専門んだけど、ロードレースの方が良い成績なんですよ。」
としきりに言っていた若いスタッフです。
彼は、富士山に自転車を担いで上がって、頂上から一気に駆け下りるというような、
かなり尋常じゃない運動神経を持っているのだそうです。
彼もまた、TeamUKYOに入ったのは、偶然じゃないのでしょう。

山小屋あたりからガイドさんがのぞいています。
だいぶそこで、じゃべって、お菓子をいただいたりして休憩してしまいましたが、
なかなか楽しいひとときを過ごさせていただき、山小屋へ。
Gohan

山小屋のハンバーグ定食はなんと美味しいことでしょう。
疲れているからってだけじゃなく、意外に味もいけていました。
(ただしメニューは一種類らしい、先週も同じだったようです)
気圧の低いところはアルコールが回りやすいらしい。
それを試したかったのですが、無茶をして登山に支障をきたしてはいけません。
諦めました。
Touyoukan1Touyoukan2


山小屋の写真です。
敷き布団には枕が二つ置かれています。
男も女も関係ありません、皆同じ大部屋です。
トイレの手洗いはありますが、洗顔も歯磨きするところもありません。
山の水は貴重品。
汗まみれの体はウエットティッシュで拭き、歯磨きシートで歯を磨きました。

最後にトイレに行こうと外に出ました。
足の下は雲海です。遠くにラピュタの竜の巣の様な雲が、夕陽を浴びてピンク色に染まっていました。

「明日私は頂上まで行けるだろうか?」
「この景色が見納めかもしれない。目に焼き付けておこう。」
 
私の足は、だいぶ靴擦れで痛んでいて、ジンジンします。
皆の、足手まといになってはいけないだろう。
明日の出発までに決断しなくては。

私は気弱になりつつ、狭くて湿気った布団に入りました。

つづく

日本一の馬鹿・3~2006年富士登山~

昔、私はよく、日帰りや、一泊単独旅行をしました。
名古屋のテレビ塔、大阪の空中庭園やツインタワー、新潟の区庁舎や、日本海タワー、ビブレ。
実は高いところへ行くときは結構、一人、傷心の時が多かった気がします。

河口湖富士5合目が、我々の出発点です。
2305m雲上閣
Unjyoukaku

ここから7合目までは、実は馬糞ロードとやばれるようです。(ほんとか?)
駐車場の終わりと登山道と下山道が別れるあたりに、何匹もお馬さんが繋がれて、
ぶひひんと、嘶いていました。
Uma

7合目までは15000円ほどで乗せて連れて行ってくれるようです。
だモノで、その間の所々に、馬さんの御粗相の跡が転々と。
Bafun

これがまた、目にしみる、臭いなんだ。
これを嗅ぎながら,
まだなだらかな登山道を登ってゆきます。
下山の分岐辺りでは、下山してきた人とすれ違います。
どの人の顔も、妙に険しい。
「??」
結構外人さんも多いようです。軽装の人もちらほら。

さて、今回の登山に同行してくれるガイドさんは渡辺さん。
50歳前後の方でしょうか、日に焼けた顔と、すらっと無駄のない背の高いおじさまです。
私はその直後に陣取って、歩幅を研究しつつ一歩一歩上がってゆきます。
どうも、ガイドさんの歩幅は極端に狭く、踵、足全体、つま先とはっきりわかるくらい
しっかり体重移動しながら歩きます。
私も真似して歩きます。
5分もすると、高原の気温なのに汗がじわじわ。
その上、靴擦れし始めた足元もじわじわ痛み始めました。
ジグザクになっている登山道を3つ4つ上がるたびにちょっと休憩。
そのくらいのペースでないと、うっかり高山病にやられてしまうのでしょう。
休憩の度に、水とエネルギー源の補給をしなさいと言われました。
持ってきていた、チョコやクッキー、甘酸っぱい梅干しやブドウ糖を、近くの人と分け合って食べます。

「登山後太った」とネットなどで聞かされていたのですが、それよりも高山病の怖さが勝つのです。
なんか見えない敵と戦っているかのようです。

6合目の山小屋は開いていないようです。
とりあえず点呼して通過。
2390m
点呼の係は片山企画の遠藤さん。
後で本人に聞いたのですが、彼はレーシングカートをやっていて、
TeamUKYOUのビッツレースのドライバーさんをやったことがきっかけで、入社されたのだそうです。
しきりにそのとき予選落ちしたのがショックだったと繰り返し言っていました。
なんか、右京さん的な天性の才能があった様なので仲間内からは
「借金してでも、フォーミュラレースに挑戦すれば良かったのに」と勿体ながられていたようです。
片山企画に入社したのは、偶然ではなく「神様が引き合わせた。」そんな気がします。
気の良いお兄さんで、今はUGOの自転車の企画や、イベントなどのお仕事をされているそうです。

また少し登って、振り仰ぐと、転々と連なって7合目の山小屋が見えてきました。
まだまだ、2700mです。
一件目は花小屋
二件目は日出館
三件目がトモエ館
救護所を挟んで
四件目鎌岩館
五件目が富士一館
六件目が鳥居荘
一件おきくらいに休憩とりつつ上がってゆきます。
ああーーー、とうとう今日の宿が頭の上に見えてきました。
やっと!着く。
ちょうど宿の東洋館の下は岩場が続いていました。
その頃実のところ私の足の靴擦れも、かなーーり痛くなってきました。


つづく。

日本一の馬鹿・2~2006年富士登山~

私のストレス解消法に、「高いところに行く。」というのがあります。
「仕事を辞めようかなぁ」と思ったときは、東京タワーに行きインド人の銀行家にナンパされました。
あん時、つきあっていれば私は今やアジアの銀行王の奥方だったかもしれない。
なんてね。

さて、私はアパートを出て
新宿スバルビルの集合場所に向かいました。
「第6回Team UKYOトレッキングin富士]
これがこのツアーのタイトルです。
UKYOU=右京。
そう、元F1パイロットで、現在フジテレビで解説をやってらっしゃる、
片山右京さん主催のトレッキング、パーティーです。
わたしがどのくらい右京さんのことが気に入っているかは、
この先何処かで書けると良いのですが、今回は、ツアーレポに集中します。

バスは町田で右京さんと片山企画の若い男性スタック3人と
このトレッキングのショートフィルムを撮る映画監督とそのチーム2り人を含んだ、
総勢30人弱の人数となりました。

座席のお隣は、私と同じく、一人参加の女性で、物怖じしない方で、
行きも帰りも、起きている間はずっとおしゃべりしていました。

新宿を7時出発町田に8時
東名の、サービスエリアで一回トイレ休憩と、
スタッフさんから、「水を3リッターは持っていないと足りないから、持ってない人は買い足してね。」
と、買い物を済ませ、富士の裾野のどんよりとした曇り空を抜けて、
富士5合目「富士急雲上閣」12時頃付き、昼ご飯を食べました。
ここでまた数人の、現地集合の方と合流、皆で集合写真を撮り、
13時に登山開始となりました。

このときも、一抹の不安はありましたが、これからの登山に待っていたモノを
私は想像はできませんでした。
Sinnjyukusyuppatu

つづく。

日本一の馬鹿~2006年富士登山~

煙と”なんとか”は高いところに登る。
そう、
私は、日本一の山に登って、日本一の馬鹿になりました。


アクシデントは4日前に起こりました。
そのことは以前の日記に書いたのですが、
以前から履きこなして気に入っていた、トレッキングシューズがいきなり
お亡くなりになりました。
https://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=13549460&blog_id=72773
「ぎゃーーーー!!どうしよう!!!
と、と、と、とりあえずまだ2,3日ある!靴を買いに行こう。」

と、山用品の専門店へ行きました。
吉祥寺か、新宿の店か迷って吉祥寺を選びました。
まずそこに選択ミスがあったのかも知れません。
圧倒的に、新宿の方が、店がでかいので、品数が多いはずです。
私の足は、横に出っ張った、ちょっと困りものの足だったので、選択の幅は広い方が良かったのです。

「そんなことナイナイ、普通だよ」と言いながら、店のおじさんが対応して、サイズを測ってくれました。
とりあえず、サイズの合いそうな靴を4足出してもらって履いてみました。

うーーん。
びみょーーーな中で、何となくよさげなLOWAと言うメーカーの靴を何回か履き比べ、
軽い、軽登山靴の方を選びました。
そこに二つ目の選択ミスがあったのかも知れません。
試し履きのため買ってそのまま履いて帰ったのですが、
やはり二日しかなかったので、さあ当日
昔の慣れて良い感じにヘタった中敷きに換えて出かけました。

登山後帰ってきて、友人に「何でいつもの運動靴にしなかったの?」と
口をそろえて言われたのですが、そのときはこんなことになるとは、思わなかったのです。
Burog1


つづく。

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