特番が連日続きます。
あの日からほぼ1年後。
3/3にアトムは双葉町で保護されました。
その後、我が家にやってきたアトムは、私が飼い主で幸せなのかと?言葉がわかったら聞きたいところです。
NPO法人の人が震災から何度も餌やりに行って、何度目かに食いしんぼさんのアトムは捕まったようです。
双葉町には今も人は帰っていないようです。
それまでの飼い主はわかりません。
私の父は福島の会津地方出身です。子供の頃は良く兄や母と一緒に福島に訪れていました。
昔から会津は「賊軍」と言われ、つらい思いをしてきた土地なんだと子供心に、飯盛山の白虎隊や若松の鶴ヶ城を訪れた時に思った物です。
今年の大河ドラマ「八重の桜」を見て頂けていると意味がよくわかると思います。
私が子供の頃は大河ドラマ「獅子の時代」で幕末維新を取り上げていました。
その私がアニメーターになって長州藩の剣客「剣心」をやることになったのは何の因果かと思いました。
存命の頃、祖母は「長州は嫌いにゃぁ(会津弁)」と言っていたのを記憶しています。
その福島がまた未曾有の災害に見舞われた時、また福島はつらい思いをしているのだ、と感じました。
そして、何か出来ないものかな?と思っていました。
そう思いつつ何も出来ないまま1年が経ちました。
だからといって、使命感というような偉そうなものもありませんでした。
個人的に、当時の私は家族の病などに追われて精神的には疲れていました。
そこで、ふっと行った原宿の里親譲渡会でアトムに出会いました。
アトムは小さなケージの中でまん丸くなっておとなしく寝ていました。
「この子は飼いやすい子だと思うわよ」NPOのNさんにそう言われました。
その頃からもうアトムは猫HIVが原因の口内炎が痛み、おとなしかったようです。
今では、私が仕事場から帰宅すると、ご飯を要求するために「ワオーーーーン、ワオーーーン」と猫らしからぬ鳴き声を上げ、アトム?と呼びかけると、名前を覚えたのか「ニャッ、ニャッ」とお返事をするまでになりました。
原発から数キロの所で、1年。猫とはいえ被爆はしたのではないか?いったい何年寿命が有るのだろうと不安になることもあります。
はげが出来、口内炎で毛繕いも出来ず、ちょっと薄汚れた色のまんまですが、いつかは私の猫の飼い方が熟練した頃には、シャンプーと爪切りをしたいと思います。(いや、それは早くやってやれよ(^□^)
かわいいアトムが私のところに来てくれてほんとにありがとうっていいたいですね。
「ありがとう、これからも宜しく、アトム」
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